ジョルジェット・ジウジアーロ:デザインへの情熱
「デザインに情熱を捧げる」という生き方を、ジョルジェット・ジウジアーロほど身をもって示した人などなかなかいないでしょう。歴史上最も象徴的な自動車の数々は、この著名なイタリア人デザイナーの手によるデザインでした。例えばフォルクスワーゲンのゴルフ(1974年)やセアト・イビサ(1984年)などです。しかしこれらは、彼の天才性を示した数あるデザインの中のたった二例に過ぎません。
ジウジアーロの手がけた自動車デザインにはそのほかに、あの華々しい1972年のロータス・エスプリや、デロリアン・DMC-12などがあります。しかしくどいようですが、これは何百もある彼のデザインのうちの、ほんの一部でしかないのです。ジウジアーロの作品は自動車以外の分野にも及んでおり、その中にはニコン・F3といったカメラのデザインも含まれます。
その後は定番とも言えるニコン・F5や、同社の水中カメラシリーズのデザインも手がけました。そしてデジタル時代が訪れると、ニコンにとって完全に新世界となったD2xのデザインも担当しました。D800およびD4は、彼がこの企業のためにデザインした最後のカメラです。
それでは、この世界的に有名なデザイナーの歩んだ道のりを、彼の特に象徴的な作品とともにご紹介していきましょう。
ジョルジェット・ジウジアーロ:デザインのために生きた人生
1938年の8月7日、ガレッシオというイタリア北部の小さな村で、ジョルジェット・ジウジアーロは誕生しました。祖父は教会のフレスコ画家として、さらに父は油絵の画家として働いていたということもあり、幼い頃から彼はアートの世界と繋がりを持っていたそうです。
そんな彼の人生に転機が訪れたのは、トリノへの移住を決意した時でした。この都市で彼は、午前中には美術高校へ通い、夜間に絵画の講座を受ける、という生活を送っていました。そして1955年、高校の風刺画コンペに参加したこの少年を、ダンテ・ジアコーサが見出します。
フィアット社の技術センター長だったジアコーサには、ジウジアーロの書いたスケッチの細部を見ただけで彼の巨大な才能を見破ることができたのです。そのため、それからほんの数ヶ月後にはすでに、ジョルジェット・ジウジアーロはこの有名な自動車メーカーでスタイルデザイナーとして働き始めていました。
フィアット社でデザイナーとして10年間働いた後、彼はベルトーネ・グループのスタイルセンターのマネージャーに就任します。ご参考までにお伝えすると、このヌッチオ・ベルトーネのデザイン会社は、ランボルギーニ社などにデザインを提供していた企業です。
その役職に就いた時、ジウジアーロはまだ21歳でした。つまりこれは、ベルトーネ社にとってはかなりのリスクを伴う抜擢人事だったわけです。しかし、同社がマセラティの5000 GTやアルファロメオ社のいくつかのモデルをデザインしたのがジウジアーロの時代に入ってからのことだったのを思えば、そのリスクは見事に清算されたと言えるでしょう。
数々のデザイン会社に才能を貸してきたジョルジェット・ジウジアーロでしたが、ついに友人のアルド・マントヴァーニとともにイタルデザインという彼自身の会社を創立する決断をします。この会社は、大量生産の自動車向けに80以上のモデルをデザインしてきました。それに加えて、世界でも有数の巨大メーカーにもいくつか秘密のデザインを送っていたようです。
ジウジアーロがデザインした有名な車
大量生産向けに彼がデザインしたモデルは山ほどあります。中でも特に注目すべきなのは、デロリアン・DMC-12やマセラティ・ボーラ、1972年のロータス・エスプリ、メラク、クアトロポルテ、BMWのM1、1984年のサーブ・9000などでしょう。
しかしこのリストはまだ続きます。1984年および1993年のセアト・イビサ、1973年のフォルクスワーゲン・パサート、1974年のゴルフとシロッコ、1986年のランチア・デルタなどなど、挙げ続ければキリがないのです。
また、彼はランボルギーニ・カーラや最終的にヴェイロンとなったブガッティの数モデル、ストラクトゥーラ、マセラティ・ブラン、そしてフォルクスワーゲン・W12などのプロトタイプもいくつかデザインしました。
製作の多角化を決意したイタルデザイン社は、工業デザインのための特別部門を設立しています。そして同社では、多様なセクターにおけるプロジェクトが目下進行中です。
そのセクターには写真から化粧品、さらに電話や衣服、家具、ランプ、自転車に至るまで、とにかくあらゆる製品が網羅されています。そんなイタルデザイン社にとって、2010年は非常に重要な年となりました。なぜならこの年に、同社はフォルクスワーゲングループの一員となったからです。
ジョルジェット・ジウジアーロは、70年代に「折り紙細工」と呼ばれる自動車デザインを構想し始めました。これは、直線を鋭い角度で組み合わせて車をデザインする、という考え方です。
ジョルジェット・ジウジアーロと日用品のデザイン
オリヴァーリ社のピタゴラス・ドアハンドル
ジウジアーロは、1980年代にオリヴァーリ社のピタゴラス・ドアハンドルをデザインしました。そのシンプルで幾何学図形のような形は、ザ・ジウジアーロとでも言うような典型的な彼のデザインを思い起こさせます。自動車であれそれ以外の無数の商品であれ、この頃デザインされたものには彼のデザイン哲学が注ぎ込まれているのです。このドアハンドルを製造したイタリアの企業オリヴァーリは、2014年に同製品の製造を再開しました。
ロカ社のダーマ・コレクション
この浴室用品ラインの第一の特徴と言えるのは、そのゆったりとした寸法でしょう。どのアイテムも大きくて力強く、自宅の浴室に個性と優雅さをもたらしてくれます。ジウジアーロは優しげで女性的なラインを採用したため、どの品からも柔らかさや温かみのようなものが感じられますし、とても魅力的です。
マリエル、ジウジアーロがデザインしたパスタ
パスタメーカーのマリエルはジウジアーロに、大量生産できるような類のパスタのデザインを依頼しました。彼はどんなパスタを思いついたのでしょう? 波がモチーフなのでしょうか? 実は、イタルデザイン社が開発したこの丸みを帯びた形の解釈は無限に存在しています。
その外面は伝統的なナポリのパスタと同じく平らになっています。しかし内側の表面にはうね状の隆起を作り、ソースを目一杯絡めて味をしっかりつけられるようにしました。この形が採用されたのは、調理後も型崩れしないようにするため、そしてヌーベルキュイジーヌのような、見せ方を意識した料理に使えるようにするためです。
また、1999年にジョルジェット・ジウジアーロはそのビジネスにおける功績を称えられ、ラスベガスでカー・デザイナー・オブ・ザ・センチュリーという賞を受賞しました。さらに彼は、イタリアの大統領ジョルジュ・ナポリターノ本人からレオナルド賞をも授与されています。
ここまでご覧いただいた通り、このイタリアが生んだ天才は、コンテンポラリー・デザイン業界の重鎮なのです。彼の人生はひとえにデザインへの情熱によって満たされてきたと言っても過言ではありません。ジウジアーロは、真にアイコニックと呼べるアイテムを生み出してきました。それらの作品は、次世代を生きる無数の人々のクリエイティビティを開花させることでしょう。